木ノ下歌舞伎を観に行った。見たことない人は、ネタバレ含むので、読まない方がいいかも。
木ノ下歌舞伎というのは、木ノ下裕一さんが主宰する団体で、既存の歌舞伎に現代的な解釈を与え、独自の作品を上演している。今までに、義経千本桜、黒塚、三番叟、娘道成寺、東海道四谷怪談、三人吉三、心中天の網島、勧進帳、隅田川・娘道成寺、摂州合邦辻などを木ノ下歌舞伎として、世に出した。と今書いて、ほんとガッカリ。
だって、私は今回、義経千本桜―渡海屋・大物浦―を観たのが、木ノ下歌舞伎初体験で、今までこんなにたくさんの作品が上演されていたなんて知らなかった。あれもこれも観たかったなあ。
今回の義経千本桜は、2012年の通し上演、2016年の渡海屋・大物浦に次ぐ再演だ。
私は言うまでもなく歌舞伎脳なので、劇場に入って目の前に飛び込んできた大きな日の丸や、ナナメに傾いている舞台を観て、すっかり驚いてどうなることやらと思ってしまった。日の丸がやたらとあちこちにさまよい移動するし、ばんばん現代語も入るし、迷彩服あり、ジーパンあり、罵詈雑言あり。静御前はキャバ嬢みたいだし、弁慶は、弁慶の泣き所を蹴られて泣いちゃうし。
しかし、不愉快ではないのは、観ていて原作に対するリスペクトをひしひしと感じられたからだろう。
現代語も入っているけれども、「ここは大事にしてくれよ」というところはちゃんと重々しい言葉使いになってくれる。
人が死ぬと、役者はするすると衣裳を脱ぎ、白装束となって舞台から去るところは、本当に身体が亡骸となって魂が抜け出たよう。
屋島で、平家の軍勢や女房達が海に没していくところは、天井からひらりひらりと布が落ちてきて、水中に落ちていく様が描かれていて美しい。命が儚い。
ストーリーは、原作通り進むので、こちらは歌舞伎の渡海屋・大物浦と比較しつつ、観劇する。
最近でいえば、仁左衛門の「渡海屋・大物浦」が目に焼き付いて離れない私。
歌舞伎ではボロボロの姿となって、最後安徳帝の前に現れてひと暴れする。そこに義経とともに現れた安徳帝が
「朕を供奉し、永々の介抱はそちが情け。今また麿を助けしは、義経が情けなれば、あだに思うな。これ。とーもーもーりー」。
それを聞いて、仁左衛門知盛は、それまで情念ギッラギラだったのに、ふっとその情念、殺気がなくなる。知盛はもしかしたらすでに亡霊となっていたのかもしれない。そして、そのときに成仏したのかもしれないかのような、すうっと気がなくなるのだ。
そのシーンを思い出すたび、うっと涙をこらえるワタクシ。
木ノ下歌舞伎でも最後の大暴れの知盛。ご丁寧に日章旗をかついで、血まみれで、矢折れ、力尽きである。そこで、私は、(早く、早く、安徳帝。知盛を楽にしたげてちょうだい。『仇に思うな。コレ。とーもーもーりー』って言ったげて!)と思っていた。
そしたら、その通り先のセリフ、原文ママで言ってくれた。内侍の局がそのあとなんだかんだと言っていたので、知盛のすーっと成仏した感じは、仁左衛門みたいに感じられなかったけれども、とにかくあの通り言ってくれてよかった。
そして、碇とともに、スパーンとこの世におさらばで。おしまい。
なのだが、なのだが、そこからちょっと木ノ下歌舞伎は違った。
もともと、先に書いたように、歌舞伎との比較としか見ていなかった。だから、平家物語は、歴史の中の物語であって、絵空事、他人事、昔話。知盛だろうが清盛だろうが義経だろうが、感動したりはするものの、しょせん自分とは違う世界のお話。ですよね。
それが、木ノ下歌舞伎では、義経の周りに白装束の人々、つまり魂が、輪になってぐるぐる踊って、踊って、いろいろな音がして、ぐるぐるぐるぐるぐる。現代的な音も交じってきて。タイムマシンで現代に連れていかれるような感覚に陥る。
ああ。それで最後の義経は、あんな現代的な恰好をしていたのか。(弁慶だって、途中いろんな格好していたけれど、全部意味があったのだ)
アニメかなにかであれば、ひゅーんと渦巻になって、現代にポンと持って来られるような感じの演出。
最後に、人々が、カッと私のほうを見た。
「あなたの話よ」とでもいうように。
はー。なるほど。
それから買い求めた木ノ下歌舞伎叢書を読んでみると、なんと謎解きがすごい。
日の丸は、「天皇」を象徴したアイテムで、くるくると役者から役者へと移動する日の丸を持った者が天皇に即位したことを表す。
そして、日本はずっとその積み重ねだ。天皇の周りで政権を争っているじゃないか。つい75年前だって、天皇が「忍び難きを忍び、…」とお言葉を述べて、敗者となり、戦争が終結したのだ。平家みたいに。
天皇のために亡くなったものもたくさんいて、生きているものは、わーっと声にならない声を上げて泣き、天皇自身は何の権力もないのに「もうやめよ」といえば、みなふーっと力が抜けて、抜け殻になる。それは、全然絵空事ではなかった。私の親世代は、まさにわーっと泣いたものもいる、知盛みたいに死んだ者もいる。気の抜けたやつは多数。
あらやだ、ほんとだ、まったく同じだ。時代が変われど、やっていることは、平家物語の時代とまるで同じだ。
物語の世界が、いきなり自分事に突きつけられて、かなりうろたえた。
でもって今の政治はまた…。進歩ないのだなあ。
セリフの中には、現代を絡め取ったものがたくさん散りばめられているので、見つけるのも楽しい。
舞台を観ながら楽しんで、家に帰って反芻して、本を読んで考えて。さらにあれこれ考えて。
牛は食物を消化するために胃の中に入ったものをもう一度口に戻してゆっくりすりつぶす、これを反芻というけれど、まさに1粒で4度おいしい木ノ下歌舞伎なのでした。
早くも8日は東京での千穐楽。
シアタートラムで、当日売りもあるとかないとか。
ないとかあるとか。
このあと豊橋での公演もあるそうです。
面白そうだと思ったらぜひ!
安徳帝のことなど、もっと書きたいけどまずはここまで。