「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

福島・原発被災地スタディツアーに参加する

週末を利用して、友人たちと福島県いわき市に行ってきた。

初日はハワイアンズで楽しく遊んだ。昔子どもが小さかったときに訪れて以来。首都圏や近郊から無料バス送迎があるというのが驚きだ。

 東京便、埼玉便、千葉便などがある。今はコロナ禍で、東京便は東京駅からしかないが、通常は新宿便などいくつかあるようだ。

 

温泉、プール、露天風呂にフラガールのショー!

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このフラガールのショーというのは、炭鉱がなくなることで再起をかけて始めたというストーリーが、なんというか日本人の心を打つ。フラガールの映画も面白かったけれど、この日見たフラダンスも一流のショーだった。本当にガールはかわいくて、炭鉱の時代からの歴史を見せるショーの構成もよくできており、笑顔が素敵で、希望を感じられて楽しかった。古くは戊辰戦争、炭鉱廃坑、戦争、地震津波原発事故、台風、その都度、這い上がってきた福島の人々の強さも感じるせいか、単なるショーと違った思い入れを感じてしまう。ファイアーショーも男子がかっこよかった。隣の友人が「あついよー、あついよ!」と(小声で)叫んでうるさい(笑)。

 

2日目は、原発被災地をめぐるスタディーツアーに参加した。これは、ハワイアンズとは全然関係なくて(笑)、個人で申し込んだもの。

私は2回目の参加。友人たちは、初参加だ。ガイドは古滝屋の里見喜生さん。

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私が最初に参加したのは2014年5月。そのころはまだ津波原発事故の跡が生々しくその傷跡を残していた。

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それから月日がたって、あの時の生々しさはないとは思っていたので、今回は、その風景にふたつの予想をたてていた。

 

ひとつは、跡形もなくなった、津波のあと。

もうひとつは、延々と続く、除染処理廃棄物の黒いごみ袋の山。

 

この予想は、少なからず当たっていた部分もあるが、なぜか手ひどく裏切られた気持ちもある。

 

 

2014年の富岡駅。茫々たる風景。

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 向こうに海が見える。

2020年の富岡駅。

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 防潮堤で、海は見えない。2020年富岡駅。

 

2020年。きれいに整った駅と道があった。

 

夜ノ森駅は、富岡の隣の駅だ。

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 駅の待合室。

 

駅だけはきれい。でもくるっと後ろを向いて駅を背にすると…。

 

これは駅の真ん前である。誰もいない。そして、「ゲームセンター理想郷」というひどく皮肉めいたネーミングの、草ぼうぼうの建物。

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その先には、ものすごく立派な家が朽ち果てており、ポルシェが2台。そのまま置かれている。

家はある、蔵もある、ポルシェも2台ある。でもそこに人はいない。


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立派な門構えの家。

 


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むごい。

 

 

富岡町のサクラのトンネルでは、桜が満開となり、帰宅困難者たちがこの日ばかりは帰宅を許されて、花を愛でたみたいなニュースを見た記憶がある。

 

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報道だけではわからない。なかなか現場を見てみないと、衝撃は伝わらない。つるりんときれいな駅の真ん前がまだ帰宅困難地域で、こんなゴーストタウンだったとは。

 

20××年、電車が開通しました、駅もきれいになりました、道もきれいです。というロードマップに沿った事実だけは積上がって行くけれど、そこに人間の営みはない。

 

あ。全くないわけではない。富岡町は、15000人いた人口のうち、帰還して今住んでいる人は1800人だそうだ。富岡駅の近くにはスーパーもあったし、富岡町には小中一貫学校が一校だけある。震災以前は小中2校ずつあった。

でも、15000人いた住人が1800人になったということをどうイメージしていいかわからない。

 

里見さんは言う。

「ピンと来ないかもしれないけれど、想像してみて。自分の周りの家の9軒は誰もいないんですよ」

さらに、東京の小さな家に住む核家族と違って、ここらの人たちは大きな家に、3代4代家族で住むのが当たり前だった。

土に触り、土に上に立ち、生きてきた。それを取られるのは命を取られるほどむごいことと。

 

富岡2中の画像。

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こちらも皮肉な画像。富岡第2中は、原子力災害時避難・集合場所として指定されていた。けれども今、人は絶え、校舎は解体され、ただの空き地となろうとしている。

あの日、卒業式を目の前にして希望と不安でいっぱいの中学生がいっぱいいただろうに。桜並木を歩いて卒業していくつもりだった子どもたちだったのに。

 いったん、原発事故が起これば、避難場所など何の役に立たないことがよくわかる。

 

2020年11月15日、新潟県柏崎市長選、狩羽村長選が行われたけれど、いいんだろうか。柏崎刈羽原発がある地域だけれど、いいのだろうか。原発推進派に決まってしまってからでは遅いのにね。こんなことになるかもしれないよというモデルが目の前にあるのに。

 

 

さて、この後、国道6号線を南下。国道沿いの日産、K‘S電気、かっぱ寿司、パチンコ屋などなどが連なる国道沿いだったけれど、すべてが廃墟。近々解体されるそうだ。恐ろしい風景だった。たぶん今しか見られない風景だったが、車中からでうまく写真が取れなかった。反省。しっかり目に焼き付けておこうと思った。

 

大熊町あたりになると、放射線は2.05くらいに上がった。そして、もはや家は密林の中に埋もれている。人が住んでいたのに、2011年3月10日まで普通に住んでいたのに。コミュニティがあったのに。すべて廃墟となり、埋もれていた。

 

そして、最初の私の予想のもう一つの、ごみ袋が延々と積み重なっているのではないかと思っていた風景。それもなくはなかったが、意外と少なった。それより多いのは、トラックの数である。緑のマスクをつけたトラックが、次から次へと朝は南から北へ。夕方は北から南へ。ラッシュで渋滞が起こるほどだという。

 

それは、その放射能で汚染された土砂をどんどん運び出しているという。え?どこへもっていくの?なんとそれは福島県内の大熊町などへ。次々と。

 

ゴミ捨て場になった福島県

 

いいのかな。原発再稼働なんか、本気で考えていて。ゴミの処理の仕方ができていないのに、どんどんゴミを増やし続けてどうするつもりなのかな。

 

一時、トイレのないマンションと言われた原発事業だが、福島県内の人の住めない地域にどんどん置くことで「これでトイレのあるマンションになった」とのたまう中央の人もいるとか。ひどい。

 

そして、どんどん他地域に運んでいるからごみ袋は思ったほど多くはなかったけれど、多かったのは、黒い畑。太陽光発電のパネルの多さだ。

 

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それはいいじゃない?畑で生産できなくなった土地を利用して太陽光発電をして、それで福島が潤うならと思ったけれど、ちょっと事情は違うようだった。

 

安く買いたたかれて土地を手放し(または貸し?)中央の大企業が太陽光発電をはじめ、その利益はすべて持っていく。その畑を持っていた人たちに何も届かない。電力は東京が使っているのに。

 

100年以上、土を耕し、作物を作り、3代同居、4代同居しながら営んできた暮らしは根こそぎ破壊された。

 

今山と山の間に、まるであやとりの毛糸のように張り巡らされているのは、何本もの送電線。にょっきり立つ3本の煙突は東電の火力発電所。どんどん電気を東京に送っている。今、東京の電力は福島と新潟で作って送っているそうな。全く他人事ではない。自分事だ。

 

南下して、再びいわき市に戻った。

 

最後は、おいしいお昼をたんといただいた。いわきの魚は本当においしい。口の中に入れるとその筋肉質の詰まった身が口の中でぴちぴちするようだった。

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グッと噛みしめていただいた。

 

このスタディーツアーは、いわき市で旅館「古滝屋」を営む里見喜生さんが主宰している。

私たち個人がなかなかここまでは行けないというところまで案内してくれて、淡々と説明してくれる。古滝屋自身、大きな傷を負ったけれど、知ってほしいという思いでこうして地道な活動を続けている。この活動のコンセプトは「知って、感じて、考える」

もうすぐ震災から10年になるけれど、5000人近い人たちに案内をしてきたという。

 

今回、たくさんのお話を伺った中で、ぼんやりして聞きそこなったり、忘れてしまったところがたくさんあり、すべて伝えられないのが残念だけれど、ぜひ、気軽に「古滝屋」に連絡をとって、スタディツアーに参加して、いろいろなお話を聞いて、知って感じてほしい。

 

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資料もたくさんもらった。

 

里見さんは震災伝承を志す団体同士が連携している3.11メモリアルネットワークにも参加している。https://311mn.org/

 

イカしているバンでスタディーツアーだぜ。学童の子ども達に書いてもらったそう。

立っているのはガイドの里見さん。

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 スタディツアー参加は一人3000円。色々相談にも乗ってくれるし、お一人でもOKとのことなので、ぜひお気軽に参加してみてはいかが?

あ。本業は旅館経営なので、ぜひ宿泊もどうぞ!

古滝屋:いわき市常磐湯本町三函208

電話番号:0246-43-2191

furutakiya.jp