2019年7月に歌舞伎座でかかる「西郷と豚姫」についてご紹介します。
■作 池田大伍
■初演 大正6年
昨年の大河ドラマを見た人であれば「近藤春菜のやっていた西郷にポーっと惚れる女中さんと、西郷どんのお話ですよ」と言えば、あーなるほど!とポンと膝を打つに違いない。
「西郷と豚姫」は、大正6年の初演時には「西郷とお玉」という題名だったが、その後延若のお玉で再演されたときから「西郷と豚姫」に変わったそう。 豚姫って、インパクトが強い…。
以下、西郷と豚姫のお話は、大体ハリセンボンの春菜を想像して読んでいただければと思う。
■あらすじ■
幕末の京都三本木揚屋。豚姫というあだ名の仲居お玉は、太っていたためそんなあだ名をつけられていたが、明るくて面倒見がよく、誰からも好かれる性格だった。
そのお玉が密かに心を寄せているのは、薩摩藩の西郷隆盛。最近顔を見せないので気になって元気がない。周りのものたちからは
「なんぼ自分が肥えていやはるいうたかて、あんな太いだぼだぼした西郷はんのどこがいいのやろ」
と笑われている。
西郷が顔を見せないのは、お殿様に、蟄居を命じられたからだった。もう一度会いたいと気をもむお玉の前に、西郷がやって来た。ただし、幕府の追手から逃げてきたところだった。
「幕府からは憎まれてつけねらわれる。殿さまからはご勘当、もうどこへも行くところのない身になったな、あはは」と寂しく笑う西郷。
お玉はすっかりと気持ちが西郷にうつり、思いのたけを語る。
最初は何だかとりとめのないような方だと思っていたけれど、次第に心惹かれていく様子。
「大ようで底のわからん、それで懐かしい、世の中にもこんな豪いお方があるかと思うと…」
そして、「大きな大きなお日さんの一杯さした野辺にでもいるような気持ちになり、」
ほかの人が下らなく見えてきて、心に穴があいてしまったようだという。とはいえ奥さんになれるわけでもなし、もう一度会えたら死んでもいいと覚悟を決めたと切々と語る。
西郷は感に堪えたように、嬉しいと泣きだし、一緒に死のうという。
お玉も、そんな気持ちであったから、行きましょうとその気になったところ、中村半次郎が来る。蟄居は解かれた。すぐに江戸へ下れという命令を持ってきたのだ。
西郷は、「心中はもう変更(へんがえ)だ」とお玉に言い、お金を渡して去っていく。
お玉はあっけにとられている。
というお話です。
■みどころ■
こう書くと、身も蓋もない話のようですが、お玉の気持ちになると、なんだかとってもしみじみとしてしまいます。
本当に西郷どんが好きだったんですねえ。
西郷どんも、決してチャラチャラと二枚舌ないい加減野郎というわけではなく、精神と肉体のギリギリのはざまで常に戦っているわけですから、ああもう死のうと思うこともあるでしょう、告白を心から嬉しく思ったりすることもあるのでしょう。
しかし、しょせん色恋沙汰のプライオリティは低め。ひとつことが前に進めば、すべてをなげうって、走りさってしまうのです。
お玉も、本当に大好きだった西郷どんともう一度会えたから、もう死んでもいいやと思ったのでしょう。それでも、あっという間に「変更だ」と言われ走り去る男を恨む気持ちはありません。
同じ、心中するしないですったもんだする「星野屋」とは全然違いますね(笑)
元気に走り去っていく西郷を、見送るお玉の気持ちってどんなでしょう。
大好きな人を殺さずに済んだ。生きていてくれてうれしい。よかったんだ。これで。そして一日も長く生きていて欲しい。そんな見守る気持ちでしょうか。きっと明日から明るいお玉ちゃんにまた戻ることでしょうね。
太ったお玉と太った西郷どんがおにぎりを食べておいおい泣いている様子を笑うようなセリフも中にはありますが、だからと言ってそれをメインであるような簡単なお話ではない。しみじみとしたいなと思います。
としつこく書いているのは、名作歌舞伎全集第25巻の「西郷と豚姫」の解説で利倉幸一氏が、そこについて心配しているからです。哀愁感があり、品位のある喜劇である歌舞伎だが、演出で必ずしもその哀愁感が十分に表出されていないと。
7月のこの演目で「しみじみしたいな」と私が想うのはそういうわけです。演出もそうですが、観客も同じこと。本当にここで笑うところだろうか?というところで笑う「謎の笑い」が多い昨今の舞台。今度もしみじみしたいラストで、笑いが起きないことを望むばかりです。
そして、このお話、観るのがとても楽しみです。
誰がやるの?
おお! 西郷どんが錦之助。シュッとした錦之助がどんな感じでだぼだぼ感を出してくるのか。
おお!お玉が獅童!星野屋のお熊さんではないかいな。泣かせて、そしてほっこりあったかくなる幕切れ、ちょうだいね。
参考「名作歌舞伎全集第25巻」東京創元社