2018年10月の歌舞伎座は、18世中村勘三郎の追善興行です。
昼の部夜の部、大変面白くなっておりまする。
昼の部のしょっぱなは、三人吉三巴白浪です。
作者は河竹黙阿弥です。幕末から明治にかけて、300以上もの作品を書きました。
時代が大きく変わることも知らず、夢中で芝居を作っていた人、観ていた人もいたんでしょうね…。
簡単なあらすじ
今回上演されるのは、大川端庚申塚の場のみです。
同じ吉三郎という名前を持つ3人のチンピラが出会い、意気投合して義兄弟の契りを交わす場面。
非常に長いお話の有名なこの場面のみ上演。前後の話がわかるともっと興味深くみられます。
登場人物 ( )内は2018年10月歌舞伎座で演じる人
・とせ(鶴松) 夜鷹。お金を落とした十三郎に百両を返すべく夜道を歩いているところ、お嬢吉三に出会い、百両をとられて、川に突き落とされる。
・お嬢吉三(七之助) 5歳のときに誘拐され悪の道へ。女装して油断させて金品を取るワル。
・お坊吉三(巳之助)庚申丸を紛失した罪で切腹した安森源次兵衛の息子。
・和尚吉三(獅童) 吉祥院の坊主上がり。安森家に忍び入り庚申丸を盗んだ土左衛門伝吉の息子。とせの兄
<大川端庚申塚の場>詳しく
幕開け
金貸しの太郎右衛門と研師の与九兵衛が名刀庚申丸を奪い合っているところから、舞台は始まります。
そこへとせがやってきます。とせは夜鷹(売春婦)です。
昨晩のお客(十三郎)が百両を落としていったので、返そうと夜道を急いでいます。
「奉公人のようだったから、きっとご主人の大事なお金に違いない。困って身投げでもしているんじゃなかろうか。たった一度しかあっていないけれど、忘れられない愛しい人。
胸騒ぎがする。急ごう」
そこへお嬢吉三が登場。とせに亀戸への道を聞きます。
とせは、親切に道案内するが、方向が同じだから一緒にいってあげましょうと二人は連れ立って行きます。その時財布が落ちて、大金を持っていることが知れてしまいます。
お嬢は、人魂が出たといって、怖がるふりをして、とせに近づき、財布を取ってしまい、
川へ突き落します。
太郎衛門が後ろからとびかかるが、それもかわし、太郎衛門の庚申丸も奪います。
ここで、有名なセリフを。
「月も朧に、白魚の かがりも霞む春の空
冷たい風もほろ酔いに 心持よくうかうかと
浮かれ烏のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
棹のしずくか濡れ手で粟 思いがけなく手にいる百両
ほんに今夜は節分(としこし)か 西の海より川の中
落ちた夜鷹は厄落とし 豆だくさんに一文の
銭と違って金包み
こいつぁ 春から 縁起がいいわぇ」
とそこにお坊吉三が登場。一部始終をみていたお坊。お嬢と
百両をよこせ、よこさぬのけんかとなります。
そこに登場するのが、和尚吉三。二人の仲裁に入り、「百両を自分に渡す代わりに自分の腕を切れ」という和尚に、心意気を感じた二人は和尚と義兄弟の契りを交わすことを申し出、百両は和尚が預かり、3人はかための血盃を交わしてその場を去るのです。
終わりです。
この一幕の見どころ
実は、「三人吉三」のお話は凄惨な悲劇。でもこの場はヤンキー3人が出会って、お互いに意気投合するという場面だから、気分も高揚し、暗くはなりません。
ベタですがひたすら3人がかっこいい
特に、お嬢吉三の美しさ。たおやかな女性がヤンキー男性に様変わりするところ。
お嬢「あれえ~。いま向こうの家の棟を光りものがとおりましたわいな」
とせ「そりゃ、おおかた人魂でございましょう」
お嬢「あれえ~」
とせ「なんの怖いことがござりましょう。夜商売をいたしますれば、人魂なぞはたびたびゆえ、こわいことはござりませぬ。ただ世の中に怖いのは、人が怖うございます」
というところで、
お嬢「ほんに、そうでござりまするなあ」と財布を胸元からすっと取ってしまいます。
とせ「これは、この金をなんとなされます」
というおとせに、ぐっと声を落として
お嬢「なんともせぬ、もらうのさ」
しびれますね。
とせは驚いて
「えええ? そんならお前は」
と問いかけると
「泥棒さ」とどすの効いた声。
たまりませんね。
そのあとの、先ほどの名セリフ。お坊吉三との出会い、そして3人の見得、どうだ、どうだと言わんばかりのかっこいいシーンの連続に、ただただ見ほれてしまいます。
ここの場は、思い切りかっこよくて、気持ちのいいところです。けれども実は物語全体が因果が絡み合い、もつれあい、でもどうしようもない底辺の人間たちの悲劇なんです。それがわかっていると、ただかっこいいだけではない、このあと徐々に迫ってくる切なさ、悲しさまで見えてきて、よりこの一幕が美しさ、色っぽさ、はかなさなどが際立って見えてくるんです。
七五調のリズムが心地よい
歌舞伎の歌というのは、歌うようにセリフを言うという意味だそうです。まさに河竹黙阿弥の七五調の名調子が耳に心地よいったらありません。
12代目團十郎は、「團十郎の歌舞伎案内」の中で三人吉三のことについて、語っています。
大川端は、一幕30分程。12代団十郎は、若き頃、菊五郎(当代)と初代辰之助とよく上演。地方に行くと早く遊びたくて、セリフをどんどん早く言って、15分くらいで終わらせていたそうです。
一体だれが言い出しっぺなんでしょう?と考えるとニヤニヤしちゃいますし、それほど流れるような、歌うような黙阿弥のセリフなんだなあと思うと、やはりそれはそれで感慨深いです。それにしても15分て…笑。
見逃せないアイテム。庚申丸と百両
ここの場面だけでなく、全編を通じて大切なアイテムがあります。庚申丸とそれを買い戻すための百両です。この二つのアイテムが、因果と絡まり合って、あっち行ったりこっちに行ったりするわけです。
・庚申丸 将軍家→安森源次兵衛→土左衛門伝吉→刀の研師与九兵衛→木屋の主人→十三郎→軍蔵・与九兵衛→お嬢→お坊→安森家へ
・百両 庚申丸を買い戻すためのお金。軍蔵→十三郎→おとせ→お嬢→和尚→伝吉→与九兵お嬢→久兵衛
こんな具合です。
さて、この一幕の前後、お話はどういう経緯をたどるのでしょうか?
絡み合う因果・この話のその後の流れ
犬を殺したたたりが怖い
・土左衛門伝吉(和尚吉三、とせ、十三郎の父)は、以前庚申丸を盗んだ際に犬を殺してしまいます。
犬の祟りであざだらけの子どもが生まれ、妻はその子と身投げ。その後双子が生まれたので一人は里子に出します。(昔は双子は忌み嫌われたそうです)出した里子が十三郎で、残した子どもがとせ。十三郎ととせは愛し合ってしまいますが、それは今でいう近親相姦。当時は、畜生道に落ちると言われていました。この世で幸せにはなれない悲劇です。
・お坊吉三は、和尚吉三の親、伝吉を殺すこととなります。
・役人から、お坊とお嬢をとらえるように言われた和尚吉三は、悩んだ末、この世では幸せにはなれない自分の実の妹と弟であるとせと十三郎を殺し、その首をお坊、お嬢の首だと偽り、差し出します。
・しかし、最後は三人とも追手から逃れられず、刺し違えて死ぬこととなります。
どうです?ものすごい悲惨、因果にがんじがらめなストーリーでしょう?
南北の描くど悪人とはまた違う、社会の底辺にうごめいているチンピラの悲劇が哀しいです。
通しではあまり上演されませんが、2014年に渋谷のコクーン歌舞伎で上演されました。これが面白かったですねえ。シネマ歌舞伎でまたやることもあると思いますから、もし機会があればぜひご覧になってください。
【追記】
二幕目以降は、こちら!