プロフィールでも書いたように、私が初めて歌舞伎座で見たのは仮名手本忠臣蔵の昼夜通しだった。けれども、それが昭和何年のものであるか、どうもはっきりしなかった。On the webで調べても、判然としなかった。けれども、その時の印象が強いので、ぜひともいつのものか知りたかった。
それで、わざわざ仮名手本忠臣蔵上演年表のみ入っているCDを以前買ったのだけれど、パソコンに入れられなかったり、なんだかんだで放り出していた。
それを、ようやく観ることができた。そしてわかった。たぶん。
覚えているのは、「小学校の時に昼夜通しで仮名手本忠臣蔵を観た」ということだ。そしてたぶん1度ではない。
昭和38年から昭和41年までは我が家は新潟にいたので除外すると、昭和42年から49年3月までが、該当する。たぶん母は東京に帰ってきてそれほど間をおかずに歌舞伎座に行ったはずだ。
その間、歌舞伎座で忠臣蔵が昼夜通しでかかったのは、昭和42年、43年、47年、48年。
小学生を連れていきなり昼夜通しは行かなかったと思うのだけれど、昭和42年には、ちょいちょいと昼の部を軽く見るくらいで様子見、娘である私が歌舞伎を楽しく見ていたので、これならいけそうだと43年11月に昼夜に挑戦したといったところではないだろうか。43年は、10歳だ。
昔の子は忠臣蔵はよく知っていたと思う。ドラマでもよくやっていて、あらすじくらいは知っていたと思う。だからすんなり見られたというのもあるかもしれないけれど、
初めて昼夜通しで観たときの印象は、
・大序のずらっと居並ぶ大名たちの衣装がきれいー!
・山崎街道で、それまでの雰囲気が全く変わって暗くなり、またストーリーが違う方にグングン進んでいくよという感じに、ゾクゾクする~。イノシシ出た。
・7段目がまたグッと華やかになって、ふわーと夢心地。
・最後は、高師直退治してエイエイオー
くらいの印象だったような(笑)。4段目の記憶は全くない。
そして、「飽きずによく観られたわねえ」と言われて鼻息荒く「全部観て面白かったもん」と得意になっていたような。
子どもは、理屈ではなくて五感の感覚で観ることがこのときの印象からもよくわかる。
また美しく、場面転換が鮮やかで、勧善懲悪という忠臣蔵の特色もよくわかる。
資料によれば、この時の配役は、由良助が2代目松緑、お軽が歌右衛門、おいしが芝翫、勘平が勘三郎とは、なかなか見ごたえがあるし、ミーハーな母なら絶対見逃せないはずだ。松緑好きだったし。
42年3月も通しでやっているが、配役をみると澤瀉屋系で、どちらかというと43年のほうが母の好み。いや、どっちも行っているのかもしれない。昼だけとかね。
45年の国立劇場開場の時も歌舞伎鑑賞教室で5段目6段目がかかっている。玉三郎登場だ。開場のときには「新しく国立劇場ができた」ということで、ワクワクしながら母と行った覚えがある。「駅からは楽しくない道ね」と母は言った。当時は赤坂見附から歩いたのかな?だが、玉三郎を観たかどうかは覚えていない。
そのあとの48年の歌舞伎座の昼夜通し。
足利直義と定九郎と平右衛門が辰之助、高師直と勘平が松緑、若狭之助が海老蔵、お軽が菊之助だ。豪華だなあ。
こりゃ、絶対行っているな。子どもながら「辰之助が好き!」などとほざいていたのは、やはり音羽屋系を親が好きだったからだろう。
しかし、昔はよく通しで忠臣蔵をやっているなあ。歌舞伎座以外にも、東横劇場とか演舞場とか。今はそこまで人気がないのが、しみじみ寂しい。