「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

研辰の討たれ

 

 【概要】

敵討ちの話です。けれども肩ひじ張らず見られます。
元になったのは、文政10年(1827)年、研屋の辰蔵を、近江の国の平井兄弟が讃岐の国でかたき討ちしたという実際の事件です。同年9月大坂大西芝居で「敵討高砂松」が初演されました。

 

ただ、「研辰の討たれ」は、その98年後に、木村錦花が大正14年(1925年)に発表した読み物で、「敵討高砂松」とはまったく内容は異なります。脚本を一般公募して選ばれたのが平田兼三郎の脚本でした。

 

98年後ということが、キーポイントとなります。「かたき討ち」というものが、日本人にとってどういう意味を持っていたのか、どう変わっていったのかということをこの作品は教えてくれます。

 

【登場人物】


守山辰次 (幸四郎) 刀の研ぎ師だったが、殿様の刀を研いだことが縁で取り入り、町人から武士となった。口八丁手八丁、調子がよく、おべっか、へつらい、何でもありのお調子者。

平井市郎右衛門 (友右衛門) 実直な武士だが、辰次の恨みを買い、殺されてしまう。
平井九市郎 (彦三郎) 辰次を親の仇と狙う長男。
平井才次郎 (坂東亀蔵)  辰次を親の仇と狙う次男。
僧 良観 (雁治郎) 善通寺の僧。九市郎と才次郎に、かたき討ちをやめるよう諭す。
他 大勢

 

【あらすじ】


<序幕 第一場 粟津城中侍溜りの間の場>
~事の発端。町人上がりの辰次が、武士たちに嫌われるの巻

刀の研ぎ師であった守山辰次。剣術も知らなければお茶も作法も知りません。一方武士たちは、天下泰平の世なので、やることもなく、お茶や囲碁、読書などを楽しんでいます。
武士たちは、町人上がりの辰次をあざけり、辰次は茶の道などはバカにしています。町人上がりと言われても、口で言い返すので、ますます嫌われてしまいます。
奥方がくればすぐにへつらう辰次に、家老の市郎右衛門は罵りの言葉を浴びせます。


<序幕 第二場 大手馬場先殺しの場>
~ついに事件勃発!嫌われ辰次、市郎右衛門を殺害するの巻


ののしられた辰次は、恨みに思い、大手馬場先で落とし穴をつくり、平井市郎右衛門を殺害する。
市郎右衛門の息子、九市郎と才次郎が駆けつけるが辰次は逃げていく。

 

<二幕目第一場 信州越中の国境倶利伽羅峠の場>
~追いつ追われつ。討つもの討たれるもの、命がけの追いかけっこが始まる


九市郎と才次郎は、辰次を追う旅に出ます。倶利伽羅峠のゴンドラのような乗り物で辰次にすれ違いますが、辰次が一歩早く、九市郎ののったゴンドラの綱を切り、九市郎は谷底に落ちていきます。

 

<二幕目 第二場 吾妻屋の場>
~九市郎、死なず。才次郎と再会を果たし、再び辰次を追う旅に。


ほっと一安心の辰次でしたが、九市郎は死んではおらず、無事でした。再び追いかけっこは始まります。

 

<三幕目 善通寺太子堂裏手の場>
~臥薪嘗胆。かたき討ちの旅は、何を人にもたらすか。

 

3年たちました。命をかけての、つらく果てしなく、むなしい旅も終わりに近づきました。四国の善通寺で二人は辰次を追い詰めます。善通寺の僧は、二人を諭します。見物人がはやす中、口八丁の辰次が見物人を味方につけて逃げおおせるのか、それとも…。

 

【見どころ】


憎き仇め、苦労の末、討ち取ったりー!有名な忠臣蔵、曽我の兄弟、などさまざまなかたき討ちものがありますが、大体、極悪非道の仇を、艱難辛苦の末討ち取るというもの。
しかし、このお芝居は、それらとは全く趣の異なるものです。口八丁で、おべっかへつらいなんでもOKの辰次、もう調子がよくて、人生突っ走っていますが、やはり躓きましたね。全体的に笑いがいっぱいの喜劇なので、敵討ち→臥薪嘗胆→つらい→つまらないなんてお芝居ではないので、ご安心ください。


さて、敵討ちって、実際はどうだったのでしょうか。出口逸平氏の「歌舞伎『研辰の討たれ』の成立」

https://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/research/laboratory/bulletin/pdf/kiyou38/geijutsu38_2.pdf

によれば、江戸時代の敵討ちは、「生活と名誉心」と密接な関係があったといいます。
討たれた方が悪かろうと、仇を討てば街では幅がきく。加増されもてはやされ、かたき討ちの旅に出れば、餞別までもらえる。
そこで、町人、百姓、女、子供、誰でもかたき討ちの旅に出たり、一方で仇を討つまでは故郷に帰ることもできず、何年も何年もむなしい旅を続けなければいけない人もいたとか。

 

明治になると、かたき討ちは禁止されましたが、敵討ちは「勧善懲悪」ばかりではない。何年も仇を探して旅を続けるむなしさや、それでも旅を続けなければならない苦しさなどを指摘する文学作品などが、明治の後半から大正にかけて生まれ、人々の共感を得てきたのですね。
全体的に、喜劇的な要素の強いお芝居ですが、単なる喜劇ではない、頭の中にそういったことも入れておくと、最後の「もやもや感」も少し薄まるのではないでしょうか。

 

「研辰の討たれ」は、シネマ歌舞伎にも入っており、時折上演されます。18代目中村勘三郎が主演しています。今回の研辰を見て、「ずいぶんふざけているな」と思われる人がいるかもしれませんが、勘三郎はもっとぶっ飛んでいます。ご興味があればぜひ、勘三郎の研辰も見てくださいね。

 

ところで、平田兼三郎の脚本を読んで、選者の岡鬼太郎は、こう言ったそうです

「此の脚本を舞台にかけたら、多くの看客は、一種の喜劇として、或る箇所箇所には、ドッと笑ふだろうが、役者はそれに釣り込まれてはならぬ。一番大切な事である」(「歌舞伎」1925年12月号)

さて、今回の研辰の討たれは、どうでしょう。皆さんは大いに笑ってみてくださいね。

追伸。九市郎と才次郎の兄弟を演じている彦三郎と坂東亀蔵は、実生活でも兄弟です。息の合ったところを見てくださいね。