「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

熊谷陣屋 一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)

 熊谷陣屋は、毎年のようにかかっている人気の演目です。「のように」と言いましたが、今調べてみると平成になってからだけでも、昨年の2月までで43回もかかってる!

このほかシネマ歌舞伎にもなっていますので、見たことがある方はかなりいるのでしょうね。ただちょっとむずかしいですよね。初見の方は少し予習をしておきましょう!

 

1751年12月 大阪の豊竹座で初演(人形浄瑠璃)。歌舞伎では1752年5月江戸の中村座森田座で初演。源平の一谷合戦のうち、「陣門・組打」と「熊谷陣屋」がよく上演されます。

「熊谷次郎直実が平敦盛を討った」という史実をもとに作られた物語です。

 

<登場人物>

 

熊谷直実:源氏の武将。義経から与えられた隠されたメッセージを実行。苦渋の決断。藤の方に恩義を感じている。

 

■相模:熊谷の妻。初陣のひとり息子を案じて、戦地まで来てしまう。

昔藤の方に仕えており、恩義を感じている。

 

■藤の方平敦盛の母。

 

義経:熊谷に、あるメッセージを与える。

 

■梶原平次景高:頼朝の家来。

 

■弥陀六:石屋だけれど、どこか品格のある謎の老人。実は平宗清。平家方の人間だが、以前頼朝と義経の命を助けたことがあり、今はそれを後悔している。

 

<あらすじとみどころ>

平敦盛は、平家方の武将ですが、実は後白河法皇と藤の方の子であるため、殺してはならない。皇室と密接な関係にある義経は、そんな敦盛の出生の秘密も知っていました。そこで、そうははっきり言わずに熊谷直実に敦盛を殺さないようにメッセージを送ります。それが「一枝をきらば、一指を斬れ」という制札です。

桜の木の横に立ったこの制札は一見したところ、「桜の枝を折ったやつは、指切るぞ!」という看板にみえますが、実はそこには「一子(敦盛)を斬るときは、もう一子(直実の子)を斬って身代わりにせよ」という指示が込められているのです。

 

敦盛と小次郎はともに16歳。

 

直実は、苦渋の末、敦盛を生かし、自分の子どもの小次郎の首を討ちます。ここまでが一谷嫩軍記「陣門・組打」です。

 

悄然として自分の陣屋に帰ってきたところからこの「熊谷陣屋」は始まります。

 

熊谷を迎えるのは、妻相模。相模は、小次郎の母です。「なぜおまえ、こんな戦場に来たんだ」。温厚なはずなのに相模に怒る熊谷。それはそうです。子どもを殺しちゃったのに「あの子の初陣はどうだったかしら」なんて、母親が来ちゃったのですから…。

 

そこで、熊谷は敦盛を討った、小次郎も立派だったと話していると、突然藤の方が現れて熊谷は斬りつけられます。

それもそうですよね。藤の方は「なに?私の息子を、あなた、殺したの? 許せない! 殺してやる!」となります。

 

嘆く藤の方。慰める相模。

 

実は相模は以前、藤の方に仕えており、そのころ熊谷と知り合ってねんごろな仲になったのですが、藤の方がうまくとりなしてくれたので、二人はお咎めを受けることもなく夫婦となれました。だから熊谷と相模は藤の方に恩義を感じています。

 

藤の方にしてみれば「あの時の恩義も忘れて、なんてことをしてくれた!」というところです。

 

熊谷は、藤の方を制して、合戦での敦盛の最後の模様を語ります。

 

そこへ義経が登場。本当に敦盛の首であるか首実検をすることとなります。

 

もし!もしもですよ、義経のメッセージだと思った「一枝をきらば、一指を斬れ」がホントに桜のことだけを言っているのだとしたら!今首桶に入っている首は、敦盛の首ではなく、小次郎の首ですから、熊谷が嘘をついたことにお咎めを受けてしまう。

 

熊谷は、制札を引き抜き「このメッセージに従って、敦盛を斬ったのだ!」と首桶の蓋を取って見せます。気迫あふれる緊張の一瞬です。見得が決まります!ここで舞台は最高潮。

 

しかし、義経は敦盛の首ではない首を見て「敦盛の首に相違ない」というのです。やはり、義経は、制札にメッセージを託していたのですね。

 

先ほどまで、藤の方を慰める側だった相模は、今度は立場が逆転。自身の子どもを亡くした身の上となってしまい、泣き崩れます。悲劇です。

 

さて、そこにいた梶原景高が、これはおかしい。頼朝さまに知らせなくっちゃと駆けだしたところ、どこからか石の鑿が飛んできて死んでしまいます。石の鑿を投げつけたのは、弥陀六という石屋でした。

 

実は、この男、弥平兵衛宗清と言って平重盛の家臣でした。平家一門の供養の石塔を立てるために石屋に身をやつしています。昔義経と頼朝を助けたことがあり、「あー。あんなことをしなければ平家が今のように落ちぶれなかったのに…」と後悔をしていますが、義経は自分たちを助けてくれた宗清に恩義を感じていました。弥平兵衛宗清だとわかり、義経は鎧櫃を渡します。そのふたを開けるとなんと、中には死んだはずの敦盛の姿が!駆け寄る藤の方。制する弥陀六。感謝する弥陀六。

 

熊谷はといえば、気持ちは相模と同じ。戦のむなしさと子を失った哀しみに呆然としています。

 

義経は、熊谷の気持ちを思いやり、いとまごいをやるのです。熊谷は、鎧兜を脱ぎ、剃髪し、お坊さんとなって去っていきます。ラストシーンは幕がしまったあと、花道をゆっくりと歩んでいく熊谷の独白で終わります。「送り三重」という美しくも寂しい三味線と遠くから合戦の声も聞こえます。

「今ははや何思うことなかりけり、弥陀の御国に行く身なりせば。16年はひと昔、ああ、夢だ、夢だ」という最後のセリフが哀しく響きます。ちなみに16年というのは、息子が生まれてから死ぬまでの時間でした。夢のように過ぎ去っていってしまいました。

 

2019年2月の歌舞伎座は、中村吉右衛門の熊谷陣屋です。戦のむなしさ、親子の情の深さをズシンと見せてくれることでしょう。

 

木ノ下裕一×田中綾乃の歌舞伎のセカイでは、型の違いなどが詳しく語られました!

必見。(2022年追記)

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