昨日は「歌舞伎懐かし堂」に初めて行ってきました。
▲木挽町広場は、もうクリスマスムード♪
「歌舞伎懐かし堂」は歌舞伎座ギャラリーで不定期に開催されるイベントで、松竹が撮影所蔵している舞台映像の上映会です。
「衛星劇場でも古い演目は見られるけれどなー」と思っていましたが、やはりスクリーンが大きいので、その分迫力もあります。行って良かったと思いました。1500円です。
昨日の演目は、昭和60年、第12代團十郎の襲名披露5月の昼の部に上演された「暫」でした。
「暫」の衣裳は60キロ
團十郎さんは、大きく大きく「暫」を演じていて、昭和のお客さんも、平成の私たちも拍手喝さい。
このときの「暫」、9世團十郎が演じた以来90年ぶりの「暫」だったそうです。
「暫」の衣裳は、60キロもあるそう。堂々と動きますが、ちょこまか動けるようなものではないんですね。
團十郎は「團十郎の歌舞伎案内」で「暫」について語っています。
襲名のときに、衣裳の色が浅くなっていたので染屋にだして衣裳を新調した。ところが染め上がりを着てみたら重すぎて動けなかったそうです。60キロどころではなく、とんでもない重さで、結局襲名のときは古い衣裳を使ったそうです。
なぜ、「暫」の衣裳が重いかというと、「染め」のせい。柿色の裃の色は染めが入りにくいので染料に何度も何度も漬け込むために重くなるそうです。
ばかみたいに豪華な配役
さて、このときの「暫」、さすが襲名のときとあってめちゃくちゃ濃い配役でして、ツイッターお仲間が「ばかみたいに豪華」とつぶやいていましたが、本当にそうでした。
ここに、当代吉右衛門・左團次・彦三郎(当代楽善→当代彦三郎・亀蔵のお父さん)・八十助(十世三津五郎)らが、若々しさ満開で出ています。
そして、辰之助。当代松緑のお父さんで、私は子どものころ大好きだった役者さんです。
辰之助は、腹出し、赤ッ面のひとりで当代吉右衛門の隣にいました。吉右衛門丈より少し身長は低めですが、いい面構え、そして腹の底から朗々と出る声のよきこと、よきこと。
辰之助は、1987年に40歳という若さで亡くなりました。そのころ歌舞伎から離れていた私は、大好きだった辰之助が死んだことも知りませんでした。2年後の1989年には辰之助の父であった2代目松緑も亡くなりました。単に息子の死というだけでなく、後継者としても多大な期待を寄せていただけに、どれほど落胆したことか、辰之助の死が松緑の死期を早めたとしても不思議ではありません。
昨夜の「歌舞伎懐かし堂」は、やはりお年寄りの方も多くて「おお」「ほお!」と時に感嘆の声があがったり、「似ているね」「懐かしいね」など連れ合いの方と語り合ったりしながら、皆さん熱心にスクリーンに見入っていました。
楽しい1時間でした。
帰りは、歌舞伎座の前を通ってみると、11月の顔見世興行のときだけかかる櫓が立っていましたので、写真を撮って帰りました。
次回は、日程も演目もまだ未定。
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