「初めての歌舞伎を楽しもう」munakatayoko’s blog

すばらしき日本の芸能、歌舞伎。初心者にわかりやすく説明します♪

9月歌舞伎座 秀山祭 夜の部 松寿三番叟 幽玄

→続けて、夜の部で、俊寛の前後に上演された松寿三番叟と幽玄をご紹介します。

◆松寿三番叟

原曲は嘉永6年(1853年)に初演。

三番叟というのは、天下泰平・国土安寧を祈る儀礼的な能である「翁」のなかで、狂言方がつとめる役どころ。

歌舞伎では、よくこの三番叟の部分だけ上演されます。

 

<見どころ> 三番叟は、いろいろなバージョンがありますが、この操り三番叟は、上から糸で操られる人形です。後見の役者が糸を操り、幸四郎が人形です。糸でつながっていないのに、あたかもつながっているように見えるのも後見と三番叟の息が合えばこそ。

この三番叟は、幸四郎が10代のころから何度も踊っている得意な演目です。上から糸で操られていますが、その糸が絡まったり切れたりすると、人形も変なところで足がぴょんと上がったり、クルクル回ってしまったり。足が地につかないような操り人形の様子がユーモラスですが、歌舞伎役者の身体能力には驚きますよ。

ただただ、見て楽しい20分ほどの演目です。

上演時間16:30~16:48 一幕見売り出し14:30

昨日の段階では、それほど一幕見も混んでいたなかったような。16:00にまだ売り出していましたから。

600円ですし、ぜひお気軽に見ていただけたらと思います!

 

<役>

三番叟 

松本幸四郎高麗屋)今年染五郎から幸四郎へ襲名したことで、今話題の役者。3代そろっての2回目の襲名は、歌舞伎史上初めてのことです。

後見 中村吉之丞 中村吉右衛門の部屋子から歌舞伎の道へ。 

 

◆幽玄

これはまたすごいものを見てしまいました。幽玄って、和太鼓集団鼓童玉三郎丈のコラボ作品。能と歌舞伎と和太鼓が融合しての新作です。

初めて共演したのは、2006年の「アマテラス」。

「幽玄」は、昨年上演。能楽を大成した世阿弥が観た世界や能の代表演目を題材にしたもので、今までに京都など5か所で上演されていますが、歌舞伎座は初めて。資料もなく、私もノー予習で観たのですが、かなり驚きました。

今回は「羽衣」・「石橋」・「道成寺」の3つ。

どれも、歌舞伎のそれとは大きく異なる演出です。

 

従来、鼓童の太鼓は、アクティブ、力強さを前面に出していたものでしたがそれを玉三郎が「力強いだけではない。全員が統一感をもって打つこと」と、従来の太鼓の世界の常識を覆すような提案をしてきたそうです。その結果、太鼓のささやくような繊細な音、アンサンブルなど、太鼓とは思えないような美しいハーモニーが生まれました。流れるような隊形の変化もまた、魅せられました。

あ。ちなみに笛も鈴も出てきます。

玉三郎は、「羽衣」では天女、「道成寺」では花子、最後に大蛇 として出てきますが、美しさは相変わらずです。

羽衣で、最後天に帰っていくところをどう表現するのかなと思っていましたが(まさか宙乗りじゃないだろうし)、周り舞台と鼓童集団を使って、平面なのに、本当に空高く飛んでいくような錯覚を感じました。

そういえば、今回イヤホンガイドを借りていたのですが、幽玄には、かなりよかったです。おすすめ。

三番叟は、イヤホンガイドは必要なし。途中で耳からはずしました。

 

 

歌舞伎座で上演されるものって2種類あります。ひとつは「歌舞伎」。もう一つは「これって歌舞伎なの?」とクエスチョンマークがはいるもの(笑)。

「幽玄」は高い芸術性をもつものの、後者となりそう。

ただ、その辺が歌舞伎の懐の深さというか、いろいろなものを吸収し、飲み込み、歌舞伎そのものの質の向上に貢献しているような気がします。能が「完成された芸術」と言われているのに反して歌舞伎が「未完成の芸術」と言われているのは、そういうことなのでしょうか。

 

また私にとっては、歌舞伎座でなければ和太鼓集団のパフォーマンスを観に行くことはなかったと思うので、そういう意味でも「すごいもの、みせてもらっちゃったな」という気持ちです。

 

たくさん出てくる若者たちもよかった。

歌昇、種之助、萬太郎、獅子たち獅子奮迅の活躍。

 

◆幽玄は賛否両論

ネットでは賛否両論です。

「賛」は、玉三郎の美しさ、圧倒的な存在感。太鼓のパフォーマンス、芸術としての完成度の高さ。これには賛成です。

「否」は、「秀山祭でこれを出すってどういうこと?」という意見。あるいは「歌舞伎座でなぜ、鼓童?」です。

これもわからなくはありません。

秀山祭とは、先ほどの記事にも書いたように「初代吉右衛門の功績をたたえるために、ゆかりのある演目を上演する」ことになっているからです。もちろん新作のこともありますが、中村吉右衛門鼓童が何か関係あったのか?と吉右衛門ファンにとっては感じられるのでしょう。

もうひとつ、その前の「俊寛」とのギャップもあります。

たとえば、俊寛を見た後なら、ほわーっと美しく華やかな踊りで終わってほしい。例えばおととしの秀山祭での「元禄花見踊」(季節的にはいまいちだったが)みたいなものを。

俊寛のあとに、あのドンドンドコドコとかぶせられると、なんだか俊寛の余韻に浸れない。印象がすっ飛ぶという意見もありました。

いろいろと否定意見が出ましたが、さて皆さんはどうでしょうか。

 

私は、どれも「わかるわかる」ですが、幽玄は初めて見たので面白かったです。個人的には羽衣や楊貴妃のような玉様よりも、江戸の粋な姐さん、お祭り、七段目、いつもの道成寺の花子 のほうが好きですけれど。そして、「そっちからあっちへ行っちゃうのかな、玉様」という、一抹の寂しさあり。

 

ところで、鼓童と玉様をみて、俊寛の印象は消え去ってしまったのでしょうか?

いや、実は一瞬消え去ったと思いましたが、今日になってもじっと遠くを見つめる俊寛の姿は、脳裏に焼き付いて離れません。

おーーーーい。おーーーーい。

 

さすがの吉右衛門さまですね。

玉さまの鼓童にしても、吉右衛門さんがOKを出したのでしょうし、その懐の深さに免じて、ここは「否」を引っ込め、「賛」に回ろうではありませんか。

 

夜の部が終わると、ライトアップされた歌舞伎座となっています。

家路を急ぐ気持ちもありますが、今一度振り返って、美しい歌舞伎座にシャッターを向けましょう。

 

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