歌舞伎座9月は秀山祭です。秀山祭というのは、当代中村吉右衛門のおじいさんである初代中村吉右衛門の俳名「秀山」にちなんで、吉右衛門ゆかりの演目やゆかりのある人たちでの興行です。毎年9月に行われます。
当代吉右衛門丈は、この秀山祭を非常に大切にしています。
「初代が復活したような芝居です。実父(初代松本白鷗)の舞台を見続け、初代の弟17代目中村勘三郎のおじに教わり、実母に駄目を出され、そこに自分の工夫を加えて練り上げてきました」とあります。
近松原作の芝居自体の素晴らしさに加え、今は亡き名優たちの心、今舞台に立つ人たちの努力のたまものでこの舞台ができているのですね。
◆俊寛
1177年にあった鹿ケ谷の陰謀を題材にした、その後のお話です。
平家に反感を持ったものが鹿ケ谷に集まりクーデターを企てたが失敗。俊寛・成経・康頼が鬼界が島に流されます。その後、俊寛以外の二人は恩赦により、都に戻ることができますが、俊寛だけはなぜか恩赦のリストに入っておらず、一人残されます。
歌舞伎では近松門左衛門が、このお話にさらにひねりを利かせて、より完成度の高いストーリーとなっていることに注目をしてください。
<配役>
・俊寛僧都(しゅんかんそうず) (中村吉右衛門)
平家討伐の陰謀が露見し、丹波少将成経、平判官康頼とともに鬼界が島へ流刑となった。
・海女千鳥 (あま ちどり) (中村雀右衛門)
鬼界が島の海女。丹波少将成経と恋に落ちる。
・丹波少将成経(たんばのしょうしょうなりつね) (尾上菊之助)
・平判官康頼(へいはんがんやすより) 中村錦之助
・瀬尾太郎兼康(せのうのたろうかねやす) 中村又五郎 都から恩赦の書状を持ってきた。平清盛に忠誠心を持っている悪役。
・丹左衛門尉基康(たんさえもんのじょうもとやす) 中村歌六 瀬尾とともにやってきたが、温厚な平重盛派。
<あらすじ>
◆幕開け 遠流から3年。絶望で疲弊の日々
ドンドンドンドンという太鼓の音で波を表す幕開け。
やつれてトボトボ歩いて登場する俊寛。島流しにあって3年。なんの喜びもなく疲弊しきっている俊寛です。
そこへ、仲間である成経が島の娘と結ばれたという知らせが届き、絶望の島での、ほんの一時のめでたい話題に、一同も喜びます。俊寛も遠い都へ残した妻・あづまやのことを思い出し、故郷を思い涙にくれます。
♪セリフ♪
「りんにょぎゃってくれめせ」
千鳥のセリフ。薩摩地方の訛り言葉で「かわいがってね」というほどの意味。近松の造語とのこと。
◆恩赦の船が来る。喜び→絶望→喜び→絶望 翻弄される俊寛
沖から一艘の船がやってきました。恩赦を伝える船だとわかり、みなは大喜びで乗っていた瀬尾と丹左衛門尉を迎えます。
ところが俊寛だけが、恩赦のリストから外れていたことがわかります。絶望へ。
ここまでは、平家物語。
そこに丹左衛門尉がやってきて、もうひとつの恩赦状を取り出すと、そこには俊寛の名前が。
清盛は俊寛を憎んでいたため、恩赦を許しませんでしたが、温厚な清盛の甥・教経は、丹左衛門尉に俊寛の恩赦状を託していたのです。
喜び合う一同。
ところが千鳥は島の娘なので、乗船をゆるしてもらえず、一人残ることとなり、悲嘆の涙にくれます。(これは平家物語での俊寛の悲嘆の場を踏襲しています)。
瀬尾の話によれば、俊寛の妻あづまやは、清盛に殺されてしまったとのこと。清盛が命を助けるからその代りに、自分の女になれと迫り、操を貫くために自害したというのです。
もう都へ帰る意味もなくなってしまった。絶望に打ちひしがれた俊寛。
目の前にいるのは、共に船に乗れないことを嘆く成経と千鳥の姿が。そこで、千鳥を自分の替わりに乗船させようとするのです。
俊寛は僧ですから、絶望感だけではなく、自分を犠牲にしてでも他人を助けるという気持ちが強いのですね。
◆自らの意志で、島に一人残る俊寛
俊寛は一計を案じて、自分が島に残るように画策します。その案とは、自らを再び罪人とし、島に残らざるを得ない状況にする。3人乗せて帰らなければいけない役人の顔を立てるために、千鳥を乗せるという案です。
そして、今まで憎々し気だった瀬尾を切り殺し、その罪によって改めて流罪人となり、一人で島に残るのです。このとき温厚な丹左衛門尉基康は「とどめを刺すな」と言いますが、聞き入れず、刺し殺します。
◆思い切っても凡夫心
一人残され、船をいつまでも見る俊寛。
という最後は平家物語とまったく同じですが、まったく違うのは俊寛の立場です。「同じ罪で流罪となったのに、なんで自分だけ取り残されるのだ」という納得のいかない絶望悲嘆が平家物語の俊寛。
これに対して、近松の俊寛は、自ら残ろうという意思をもって残ったのです。
この世ですべての苦しみを受けて、あの世で幸せになろうと思ったから島にのこったけれど、いざ一人となってしまうと、さびしさ孤独感・絶望感はどうしようもありません。
「思い切っても凡夫心(ぼんぷしん)」という言葉は、「悟ったつもりでも、本音は凡人と同じだ!」という血を吐くようなうめきなのです。
その後の話
「俊寛」は、「平家女護島(へいけにょごのしま)」という話の中の一部です。このあと厳島神社のあたりで千鳥は清盛に殺されるのですが、直後、千鳥とあづまやの亡霊によって清盛も苦しめられます。
<みどころ>
みどころ満載です。
・絶望と喜びに翻弄される俊寛。
「自分を犠牲にしても他人を助けたい」と思う気持ちと「そうはいっても本音はやっぱり船に乗りたかった」という抑えがたい気持ちを演ずる吉右衛門の演技力。
・瀬尾と丹左衛門
見ただけでわかる悪役っぷりがすごい瀬尾。そしてこれまた対照的に人情味あふれる涼やかな丹左衛門。同じ上使としてきたわけですが、まったく違う人間性です。
瀬尾は、悪役の権化平清盛の分身のようなもの。人情のかけらもありません。清盛は俊寛を憎んでいたため、一人恩赦を許さなかったのですが、清盛の甥教経はかわいそうに思い、丹左衛門に俊寛の恩赦状を託したのです。
瀬尾は己が放った「慈悲も情けもみどもは知らぬ。」というセリフが後でブーメランのように己に戻ってきて、命を絶たれることになります。
ちなみに演じている瀬尾役又五郎さんと丹左衛門役の歌六さんは実の兄弟です♪
本当に演技が素晴らしい名優兄弟です。
・ラストシーンの舞台美術
砂浜→波を描いた布に変わる。花道からも波の布。波の舞台が舞台を美しく彩ります。
→俊寛が船を追いかけて、波打ち際までやってきたことを表します。
俊寛は船の姿を追って、岩の上に上ります。岩はゆっくりと回ります。岩に上り詰めるとちょうど、客席の正面に俊寛が来ます。俊寛の動きをカメラで追っているようでもありますし、観客は、あたかも船に乗って、俊寛を置いていく立場のような気にもなる演出です。